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 娘が三人います。小学一年生と、五歳の娘は「お片づけ」がとっても苦手だ。ほんの一時間前、掃除機を掛け終えた部屋を、あっという間に散らかす。「ポケットモンスター」の人形たちが輪を描いて部屋いっぱいに行進している。その後を「ミッキー」たちが追随、トリを以前江ノ島水族館で買った「ヒトデ」や「マンボウ」が、お菓子の包み紙のゴミたちを伴い、整列している。
中々、芸術的な散らかりである。
絶えかねた妻の「鶴の一声」が響き渡ると、慌てて「お片づけ」が始まる。
その様子がかなり面白い。小学六年生の長女は、確実に片し始める。三女もそれに習う。二女は何故だか畳の部屋を右往左往し始め、やがてトイレに行ったりしたあげく、隣の部屋で何かしている。そっと覘くと、小さく鼻歌を唄いながら、人形の髪をとかしていた。私に気づくと、ニッと笑い「あとで、こうえんにいける?」などと、都合よく蚊帳の外である。
三女に目を移すと、やはり持続力がないようで、「めかぶちゃん」と名づけたリアルな造りの赤ん坊の人形と会話していた。
長女だけが懸命に動いている。
長女は、本当によく家の手伝いをする。
しかし、褒められる事は少ない。口が災いしてしまうのである。
つい、余分な一言を発し、妻と私の顰蹙(ひんしゅく)を買ってしまうのである。
「失言壁」は、私も会社でよく指摘される。間違いなく「劣性遺伝」であろう。
顔の造作も、可愛そうなことに私に似ているらしい。「女の子は、父親似が幸せななれる」とか聞いたが、限度もあるだろう。
 狭い我が家では、みんなが文字通り「肌を寄せ合い」寝ている。
成長した長女の四肢と、まだ幼い顔を見比べながら、今日も「怒った数」を数えてしまう。
ちょっとした自己嫌悪と反省を抱えながらも、やはり「授かった幸せ」に感謝し、眠りにつく毎日です。
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2009.02.04 遠い雷
 遠い「記憶」になる。
しけったぬれ縁が、雨の匂いを放っていた。
ピチョピチョ、という狭い庭先の地面を叩く雨音に向かって、まだ若かった母が鉄の鑢(やすり)を動かしている。
「ギャッ、ギャッ」というリズミカルな音が「鉄粉」の匂いを伴い、まだ幼なかった私の鼻につく。
母の顔の造作は整っていて、町内でも美人だと評判だった。近所の人たちは買い物についていく私の顔と母を見比べると、「たくちゃんは、お父さんに似たのね」と溜息をつくように、半ば憐憫(れんびん)の笑顔を向けて、そう言うのだった。
そのきれいな眉間にしわを寄せて、母は懸命に鑢を動かしている。
「あと、ちょっとで終わるからね。お母ちゃんね、どうしてもあと三千円がほしいの」
まだ六歳だった私に言い訳をするように、つぶやくようにそう言った。
私は、じっとその指先を見つめていた。鉄の色が染み付いた指先は、深い灰色をしていた。
「三千円」は、私の通う幼稚園の「教材」の値段だったのだ。昭和四十年の「三千円」は、結構大金だったに違いない。
父は公務員をしていたが、四人の子供たちを養うのはやはり大変だったろう。
「郵政官舎」と名のつく長屋では、当時どこの家も決して裕福とは言えなかった。
母は、糊口を凌ぐ(ここうをしのぐ)ため、車の部品を鑢で研く(みがく)内職をしていたのだった。
教材は「とんとん積み木」と云う、全てが「木」で出来た積み木玩具だった。木槌(きづち)を使って丸や三角、四角の具材と木棒とを組み合わせ、さまざまな形を作れる。
購入は、決して強制ではなかったと記憶している。
母は、どうしてもそれを私に買い与えたかったのだろう。
 あれから四十年が経ち、私も三人の娘の「親」なった。子育てをすることは、本当に「慈しみ」を重ねることだと思い知った。
「無償の愛」の尊さを、本当に思い知った。
 今、「とんとん積み木」は、私の娘たちが受け継いでいる。幾つかの部品はなくなってしまったが、結構楽しく遊んでいる。
箱の上蓋(うわぶた)に描かれた「鉄腕アトム」も、色あせているが健在である。
部屋のすみにあるその箱を見ると、懸命に鑢を走らせる母の背中と、冷たい雨の匂いを思い出す。
2009.01.29 漫画の神様
 故手塚治虫先生の名作「三つ目がとおる」が、我が家のマイブームになっている。
三つ目の少年「写楽君」は、娘たちのアイドルだ。
ヤフーオークションで落札した「赤いコンドル」は、その怪しい光の点灯と同時に、「ピー」という甲高い音を発している。それを従え、
「ダムラム・オム二ム」云々。なにやら南米の長い料理名みたいな呪文を唱え、「しゃらつくん!」の叫び声と共に三女「ひなた」が狭い部屋を駆け回る。
ドドドデデデ・・。ブリンブリンのおしりが追いかけ回しているのは、我が家唯一の「スレンダー美人」、二女の「ふたば」である。
間もなくズデン!「ゴッ!」という鈍い音が響き、振り返るとふたばが床にうずくまっていた。
広めのおでこに手を当てて、小さな肩を震わせている。
「ふーちゃん、大丈夫!?」慌てて抱き起こすと、おでこにコブをこしらえていた。
「しゃらつくん」は、コンドルを握り締めたまましばらく仁王立ちにそれを見下ろしていたが、別に悪びれる様子もなくどこかへ立ち去った。やがて、
「ひとつ、やっつけた!」と、どこかの部屋からこもった大声が聞こえたので、彼女は今、正義感にあふれているのだろう。

「ふーちゃん」は、私の腕の中でしくしくと泣いていた。
彼女はどんな時も大声を上げて泣いたりはしない。
「さめざめ」と泣くのだ。可憐(かれん)な細身の身体にふさわしい、といつも思う。
敬愛する「倉本 總」先生の著書より引用するならば、ひらがなの「をんな」を意識してしまう。
現代、女性はあまりにも強くたくましく思う。皆しっかりと大地を踏みしめ、大股で闊歩(かっぽ)し過ぎているように感じてしまう。
「よしよし、もう泣かないよ」
つややかな彼女の髪を撫で、背中をとんとんしてやる。
不意に、愛(いと)おしさが募(つの)り、いつか嫁に出す事を想像した。
あまりにリアルに考えすぎて、涙が出てきた。
 ふたばよ。お前が嫁ぐとき、お父ちゃんは精一杯の醜態をさらし、祝宴に出席くださった皆さんに、そして憎いお前のダンナに、どれだけお前が可愛いの
かを思い知らせてやるからな。・・・しみじみとそんな思いをかみ締めていると、
「ピィー!!」と何かが後ろから飛んできた。「ガッツン!!」それは見事に私の後頭部を直撃した。
「赤いコンドル」だった。
おそらく先端のトンガリが、つむじに命中したのだろう。一瞬、赤い星が目の前を飛んだ。
振り返ると、「しゃらつくん」が不敵な笑いを浮かべて立っていた。
ああ、ごめんな。お前もいたんだな。
 二日前、長女の「ちひろ」が妹たちにお昼ゴハンを作った。冷蔵庫をのぞいていたが、何もないのでアンパンマンのフリカケを出し、メインは「たまごかけゴハン」だ。
「少し濃い目につくると、おいしいよ。」妻のその言葉通り、懸命に醤油とゴハンの配分を考えたらしいのだが、圧倒的に醤油が多すぎた。
ちょっと見、「ハヤシライス」みたいな色合いになってしまっている。
我が家の醤油は、妻の故郷である九州から取り寄せている。色が濃い目で少し甘めのコクがあり、お刺身、天ぷらなど何の料理にもよく合う。
「取り寄せ」と云うと贅沢(ぜいたく)に聞こえるが、値段は送料を含んで、こちらのスーパーで購入するのとほとんど変わらない。
 ちひろは、大き目のどんぶりにこしらえた一杯のコゲ茶色のゴハンを、眉間にしわを寄せ憮然と眺めていたが、黙ってそれぞれの茶碗についだ。
妹たちは一口食べては麦茶を飲み、を繰り返していたがかなりの量の「味ゴハン」を残してしまった。
「もったいないことしちゃ駄目でしょう!」勿論、シェフのちひろが叱られる。しかたがないので、残りは一つにまとめてラップをかけ冷蔵庫にしまって置いた。
 今日冷蔵庫を開け、それに気づいた。
「大丈夫かな、これ?」ラップをとり匂いを嗅いでみた。
「チャーハンにしてみようか?」
「うん。」
「お肉とか、何もないけど」
「いいよ。それだけで」
-手早く、強火で炒めた。それが、
もの凄く「旨い!」のである。
ゴハンの一粒一粒にまで醤油とたまごの旨みがしみこみ、大変美味なのである。
「幸福」は、やはり「食」に通じる。と思う。どんな偉い人も、お金持ちもきっとそんなもんだ。
さっきまでのイライラも収まっていた。
イライラの原因は、「金欠」だ。
今日、子供たちに「マックのポテト」を買ってやった。割引クーポンを使って「ポテト二つ」で240円。
もやしと味噌汁の具のエノキを買って、180円。
残金1058円・・・、てか。
おお、誰か!!ヘルプミー!!
2009.01.09 欧米かッ!
 貧乏家の楽しみ「DVD鑑賞」。
1本「200円」。なけなしのお金を払い、借りて帰る。
割と長い時間をかけて選ぶ。大体パッケージに惹かれる。「マット・デイモン」主演。好きな俳優だ。「オーシャンズ・シリーズ」からますます好きになった。パッケージの裏を見る。「砂漠での極限状態!!究極のサスペンス!!」とのうたい文句。ばっちり惹かれた。結構ドキドキしながら、夜を待つ。
 娘達は寝るのが遅い。
「早く寝ないと、パップクドンがくるぞぉ-」とか、
壁をドンドン、と叩き、
「ほら、トッツイッツィーがきたぁ-」などと、その場で思いつきの「怪物」を演出するのだが、それが思いのほか受けてしまい、つい余分な楽しい時間を過ごしてしまう。
つい十秒ほど前まで、ゲラゲラ笑い転げていた二女のふたば。ふと気づくと、死んだように眠っている。
三女のひなたも、私の「肘」に唇をつけたまま寝息をたてていた。眠くなるといつも、
「チュッチュコー。」と言って、私の肘にチュウを繰り返す。赤ちゃんの時、ミルクを飲む唇そのままの形で、肘に吸いつくのだ。
「たっしゃんのチュッチュコは、かたくて、つめたいの。みーみのチュッチュコは、ブニョブニョしてるの。」
私の「チュッチュコ」が大変お気に入りだ。ああ、愛されている。ありがたいことだ。が深夜、寝ぼけてものすごい勢いで「チュッチュコ」されることがある。経験は無いが、まるで「ナメクジラ」が肘に這い回っているようで、正直とっても辛い。
最後まで起きているのはやはり、長女ちひろである。
「いい加減に寝なさいッ、明日も学校なんだからッ」少々きつく言っても、最近は鼻歌交じりにそれを聞き流す。右から左へ・・云々。
「お前、いい加減にしろよッ!!」しまいに頭をはたかれ、シクシクと布団を被って泣きながら寝つくのだ。
 
 ようやく、「夫婦の時間」だ。
今日は、久しぶりにビールを飲んで、フラフラといい気分である。
DVDをセットする。布団の上に並んで座っている「みーみ」の指にそっと触れてみる。瞬間、バッ!と払われ、振り向くその顔には明らかに「嫌悪」が伺われる。
ヘラヘラと笑いながらもう一度すり寄ると、今度は「グー」で肩のツボを強打
された。
「何、照れてんだよぉ。」ウヘウへと再びすり寄る。マジモードで怒る予感に動きを止めた。

 マット・ディモンが友人と砂漠を歩いている。いつまでたっても、歩いているのだ。のんびりとヒーリング系のBGM。始まってから既に30分以上が経過していた。まぶたが次第に重くなってくる。
「みーみ」も、憮然と画面を見ている。
青い空。白い雲。定点の絵図らに夜が来て、朝焼けが美しく映される。
マットが立ち上がり、再び二人で砂漠を歩き始める。
「-水も持ってないのに」ぽつんと、「みーみ」が言った。
「-うん。変だよな。」
     間。
「なんで、こんなの借りてきたのよ。」画面を見据えたままで彼女が問う。
「-いや、マット・デイモンだったし。」
「あたし、そんな人知らない。」
「ほら、オーシャンズシリーズのさ。」
       間。突然、
DVDのリモコンで早送り始めた。驚いた事に砂漠の美しい風景が昼から夜へと変わる、先刻のとほとんど同じパターンの、まるっきり「環境ビデオ」もどきの展開が続く。
台詞もほとんど無い。あったとしても、良く理解できないやりとりだ。
早送りを続ける。
カラカラに乾いたマットの友人が、砂上に倒れた。
「-ねえ、何だか死んじゃったよ。」
「-うん。ほんとだ。-死んじゃった。」
結局、マット一人がハイウェイに出、通りかかった車に乗る。
-そして、エンディングテロップが流れる。
      長い間。
「なぁに?これ?」
「-うん。マットだったのにな。」
時計を見ると、深夜の二時を回っていた。

 あのさ、マットよ。出演(で)るべきもんを選んでくれよぉ。
「英語」ってさ、世界の標準語だろ?表現も標準的にしてくれよぉ。
 黄色(おうしょく)の「俺ら」にも、平等に解らせてくれよぉ。
今日は、とっても無駄遣いをしました。
(懺悔)
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